August 4, 2017

2017-08-04

3時起床。

矢野久美子『ハンナ・アーレント』を読む。幾つか引用。

「人類」の存続を決めるのは、人々の相互依存性の証明それ自体ではなく、それなしにはすべての相互的関係は成立し得ないであろう必要不可欠な信念である。(アーレント『アウグスティヌスの愛の概念』)


人権の喪失が起るのは通常人権として数えられる権利のどれかを失ったときではなく、人間世界における足場を失ったときのみである。この足場によってのみ人間はそもそも諸権利を持ち得るのであり、この足場こそ人間の意見が重みを持ち、その行為が意味を持つための条件をなしている。自分が生れ落ちた共同体への帰属がもはや自明ではなく絶縁がもはや選択の問題ではなくなったとき、あるいは、犯罪者になる覚悟をしない限り自分の行為もしくは怠慢とは全く関わりなく耐えず危難に襲われるという状況に置かれたとき、そのような人々にとっては市民権において保証される自由とか法の前での平等とかよりも遥かに根本的なものが危うくされているのである。(『全体主義の起源2 帝国主義』)

以下の「想定外」の、(現代から見ての)想像しがたさが印象的だった。

1943年にアメリカでこのアウシュヴィッツの噂を聞いたとき、他の多くの亡命者たちと同様にアーレントは最初それを信じなかったという。ブリュッヒャーもアーレントも日ごろから「連中は何でもやりかねない」と言っていたにもかかわらず、2人とも信じることができなかったのである。なぜなら、膨大な建設・運営費用をともない、殺すことだけを自己目的とする絶滅収容所という制度は、あらゆる軍事的必要性に反していたからだ。ブリュッヒャーは「そんなことができるものか」とさえ明言したという。しかし半年後になって、彼女たちには恐ろしい証拠がつきつけられた。アーレントはのちのインタビューで次のように語っている。

ほんとうの意味で衝撃でした。それ以前はこういっていたものです。敵はいるものさ、それはまったく当たり前で、ある民族に敵がいても不思議ではないよ、と。しかし、これは別でした。それはまさに、あたかも奈落の底が開いたかのような経験でした。……これはけっして起こってはならないことだったのです。犠牲者の数のことをいっているのではありません。死体の製造やその他のことを申し上げているのです。……このようなことはけっして起こってはならなかったのです。そこで起こったことは、私たちの誰であっても、もはや折り合いをつけることができないものだったのです。(「何が残った? 母語が残った」)

(pp.89-90)

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