July 29, 2017

2017-07-29

3時起床。

6時半頃、買い物。土曜なのもあって、商店街等は閑散。

たまに思うことだが、どうしてこういうふうな光景をあまり見たことがないのだろう。

外に出ないから、なのだが。

足掻いているーーモチベーションなんてありえないところで、間違った方向に。プログラミングへの興味が失せてしまった。他のことへの興味も散発的で、数日持たない。本でも読んでいるしかないだろうか。今日は多分、またアルゴリズムの本を図書館で借りるだろう。あと、微積の本も。それらのどれでもいいから、引っ張り上げてくれることを願うほかない。

ミシェル・ウエルベックが言い尽くしていることを、自分が更に思い煩う意味はない。憂鬱も物悲しさも、ある種の攻撃性もその予めも無益さも、全て書かれている。人間についての散文的な真理など、フランスの人生論作家が既に書き尽くしてしまったーーというのが、ウエルベックの出発点だった。


  • S.S.スキーナ『アルゴリズム設計マニュアル(上)』
  • マーティン・デイヴィス『万能コンピュータ』
  • 西野友年『”お理工さん”の微分積分』
  • オリヴァー・サックス『レナードの朝』

を借りた。


虚しい足掻き。

目標というか日課は立てられては忘れられていく。よく思うが、「時間割」に従って延々と単純作業をするタイプの「工場」なんかが、一番自分には向いていた。

学校は止めるものでないのだし、社会からは退出するものでもないのに、その双方をやってしまって、歯止めがない。働くこと、社会参加していることがデフォになっている多くの(普通と呼ばれる)人たちとは、前提が違う。止めていいのなら、満員電車になぜ乗るのか、ということになる。「止めていい」ということが、とりあえず可能性から省かれた後で、あの不条理は、「人間が空を飛べない」に等しく、文句をいうのが愚かしいことにもなる(若干誇張ではあるが)。

人は社会と、他人と付き合わないでは動機づけをえられないし、毎日起きることさえ困難だ。

それがデフォになっていない。必要なのにそれを摂取することになっていない。拒食症に近い。

今更何を組み立てうるのかもわからない。そして、組み立てられないのなら、その日暮らしと変わらず、その日暮らしは今やっていることにすぎない。


何となく、英語の暗誦というものをしてみよう、と試したが、ムリだった。存外ムリだった。”Super Forecasting”の最初のパラグラフだけでさえ。

最初に全ての単語の発音を、iPadの音声入力を相手に試す。”our”とか、認識されない。まあ、こういう感じなのは知ってはいたけど、単語レベルでまともに発音できないんで、フレーズや文章はもっとムリ。発音をまったく度外視すれば、1パラグラフくらいなら頭に入れられるが、それは英語の暗記というよりは、「カタカナの羅列の暗記」になり、意味はない、というわけで、Audibleの音源を1パラグラフだけ延々と繰り返しつつ、25分で切り上げる。独特に疲れた。

ずいぶん久しぶりに発音練習とかやったが、これは普段使う回路でないので、良いかもしれないーー「ボケ防止」的意味合いで。利用する回路を意図的に多様にしたいわけだが、通常はこういう「仕事」は、「社会」や「他者」にアウトソースするものだとも、知っている。自分を不自然な場所に追い込んで、不自然に足掻いている。社会的に「定年」「引退」を言い渡されるよりも前に、社会参加よりも前に、予め定年しているようなーー


アマーティア・センが経済学科と哲学科との間で講義時間を分割していたことがある。長年、ロバート・ノズィックと一緒に、哲学セミナーを開いていた。ノズィックが Anarchy, State, Utopia という作品で哲学界にデビューした時に、リバタリアン世界観の輝く新星だとみなされたものだ。センの政治的スペクトラムはその正反対に位置し、貧困、飢餓の問題を研究し、無条件で国家に再分配の役割分担を要求する。彼らの世界観の違いは彼らが親しい友人になることを妨げなかったし、だからこそ共同セミナーが素晴らしく刺激的なものになった。(『コルナイ・ヤーノシュ自伝』、p.311)

こういうの、当然なんだろうけどさ。自分のようなのにはやっぱり「意外」に響いた。再分配に重きを置くリベラルと、最小国家をいうリバタリアンが、それぞれに虚心坦懐に議論しあうのが当然である、というのは。どんな感じなのか一度見てみたいですね。

アメリカの集まりで、共産主義の抑圧がどんなものかが話題になった時に、友人たちはマッカーシー時代を取り上げた。このような時にいつも考える。ラーコシ時代の抑圧で何百人者人が虐待され職場を追われた。1957−1958年には容赦ない拷問が加えられ、革命の10日間を理由にこの小国で229名が死刑判決を受けて殺され、数千の人が獄中に繋がれた。これらのことを比較できるのだろうか。全体主義体制がどのようなものか、分かっているのだろうか。自由に慣れ親しんだ社会にとって、その権利の組織的な剥奪が何を意味するのかを感じ取ることができないことは、彼らも分かっている。彼らも我々も、合理的な思考や歴史の知識をもとに、他者がどう感じ取るかを把握しようとする。しかし、そうやっても、個々人が自らの皮膚を通して生き延び、彼にとって抑圧が何を意味し、彼の周りで生きた人びとにとって抑圧が何を意味したかを理解することはできない。(p.326)

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