July 26, 2017

2017-07-26

15時起床。

ジュンク堂。本を眺めつつふと思ったのだが、わたしは自分の「悩み」というか、否定的で憂鬱な気分にさせる「考え」に、変な愛着を持っている。それが好きであるというと変だが、執着はある。他のことを考えれば良いと言われても、それについて考えたい、みたいなところがある。

しかし、それは有用でない(当たり前だが)。代わりに数式とか概念とか、あるいは本からの抜粋について考えるほうが、生産的だ。

生産的な仕方で悩んでみようとしたことがないのだが、考えるべきことをメモって、持ち運ぶことでもしよう。

 ・・・

空には花火だった。去年もこの花火について書いた気がするーーその当時、メディアの情報を全部(なぜか)断ってたので、それが「爆撃」の音でない確信さえ、持てなかった。爆撃なんていかにも馬鹿げた想像だけど、精神的に参ってたんだろう。去年に比べれば、精神状態は悪くない(更に孤独に慣れただけのような気もするが)。

  • 巣籠悠輔『詳解ディープラーニング』

を買ってしまった。あと、キッチンの掃除のシートをダイソーで。


ブロックチェーンで運営される国、エストニア 起業家を惹きつける「未来型国家」の設計思想とは?

これはめちゃくちゃにシャープな話だな。

エストニアがここまで政府の電子化を推し進める背景には、先述の「デジタル・ネイティブ」であることに加え、地政学と侵略の歴史がある。エストニアは過去に2度、旧ソ連に支配されてきた。そして今もなお、大国ロシアと隣接している。

当然、政府はそうなることは望んでいないが、「またいつ、どの国に侵略されるか分からない」というリスクを感じている。しかし、たとえ侵略されて「領土」がなくなったとしても、国民の「データ」さえあれば、国は作り直すことができる。テクノロジーを駆使しているのは、そのためだ。

事実、在エストニアの「ルクセンブルク大使館」にも、分散された国民に関するデータが保管されている。「他国に国民のデータを預ける」のは日本人の感覚としては理解しがたいが、エストニアは国家を守り続ける必要にせまられ、「ブロックチェーン」など技術を活用しているのだ。

ユダヤ人が、口承の伝統、持ち運び可能な技能・知に重きを置くのに似てるかもしれない。


ミシェル・ウエルベックの『ある島の可能性』は、現代と未来が交互に語られる形で構成されている。ふと、自分にとってその「未来」のパートをよりリアルなものとして記述するとすれば、それは英語(非母国語)ということになると思った。未来のパートは感情の揮発した世界を描いているが、その「揮発」という感じは、母国語よりも、後天的に(大人になって)学んだ言語のほうがより感覚的に正確になると思う。後天的に学んだ言語は身体-情動から相対的に切れていて、言葉の理解の身体的な部分が弱い。抽象的な気分にうまくはまる。

(身体-情動から切れている、というのは例えば、日本語で性器の名前をいわれると「うっ」となるが、英語だとあまりそういう感じがない、というようなことだ。あるいは村上春樹の世界にあるのはペニスであってチンコではない、というような。)

(そういえば、川上未映子の『ヘヴン』で語り手の中2の男の子がオナニーをするシーンが有ったけど、そこで彼が握ったのは「ペニス」だった。しかし日本語話者は一般的に、「ペニス」を握るだろうか。その語感は行為に比して抽象的な気がして、握るのはそれ(その言葉)ではないという気がする。もちろん、村上春樹と同じ事情で、別のもの(言葉)を握ったら作品世界のトーンが壊れるからそうあらざるえないのだけれど。)

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