July 22, 2017

2017-07-22

4時半起床。


>>> random.randint(20, 40)
22

22分後に外に出る。

図書館に行ってきた。

  • マルクス・シドニウス・ファルクス『ローマ貴族9つの習慣』
  • クリスティーン・ブライデン『私の記憶がたしかなうちに』
  • 『コルナイ・ヤーノシュ自伝』
  • ミシェル・フーコー『コレージュ・ド・フランス講義 1972-1973年度 処罰社会』

を借りた。


『マシュマロ・テスト』14章と15章は、人格の一貫性(という幻想)について語っている。知的で誠実に思われたクリントン大統領が、ホワイト・ハウスでインターンに来ていた女の子に手を出していたーーすると人は思う、クリントンという人は「本当はどういう人間なのだろう?」。

この疑問の根幹には、誠実な人はどんなシーンであれ誠実であるはずだし、非誠実な人はどんなシーンでも非誠実である、というような、人間のキャラクターに関するシンプルな直観がある。でも、その直観は正しくない。人は単一の「if-then」文で出来ていると考えるよりは、複数の「if-then」文の束で出来ていると考えたほうが真実に近い。そして、人格の一貫性とは、その個々の「if-then」文の安定的な作動のことをいうのであり、それぞれの「if-then」文同士には必ずしも一貫性はないかもしれない(ビジネスにおいて野心的でリスクを恐れない人が、プライベートでは人間関係上のリスクを酷く恐れるかもしれない)。

「本当は」という時、人は単一の「if-then」文でキャラクターを要約することを求めているのだろう。でも、人は単一の「if-then」文で要約できるほど単純ではないのだし、それは自分の経験に差し戻してみても明らかなはずのことなのだ。

 ・・・

上記は、何となく文章にしたが、箇条書きで済んだだろう。

この本は心理的に厄介だなと何度でも思う。というのも、この本は延々と、プリセットされた性向と、その良い点を助長する環境や、悪い点を是正する介入の効果について語るが、するとどうしても、全てが手後れになった自分を考えざるえないから。そして、プリセットされた性向も環境も、大雑把にいえば「親」であり、昔繰り返したかもしれない退屈なテーマ(恨み)が発火するのが感じられる。

『マシュマロ・テスト』における「自制心」とは、誘引により「ホットな」脳の回路が駆動されても、それが「冷却」されるまで待つ能力のことだ。「冷却」という言葉は良い言葉だと思う。「冷却」。それ(恨み)を感じたり、昔繰り返した言葉が延々と循環的に頭の中で再生されるのも、たまには避けがたいのだと思う。できるのはせいぜい鎮静を待つことくらいだ。いたずらにいじくり回さないこと。視界に入る物事を言葉に変換したりしつつ、待っていればいい。

 ・・・

『マシュマロ・テスト』を読み終えた。

幾つかメモ:

  • うつ病者の自己認識はネガティブな方に過剰に偏っているのでは「ない」。彼らの自己認識は、健全な人の自惚れを免れているためにむしろ「客観的」で「正確」である。しかし、自惚れを抱けないからこそ彼らは鬱になる。だから、認知行動療法なんかのいう「認知の歪み」の矯正とは、実のところ、正確で客観的な自己認識を、むしろ自己満足的な方へと「捻じ曲げる」ことでもある。これはなかなかのアイロニーだと思う。


  • セラピーにおいて過去のことを想起し、それで快方に向かう患者とそうでない患者がいるが、その違いは、その想起が客観的で相対的であるか、それとも自己没頭的であるかによるらしい。過去の出来事に再度引き戻されるようにして没頭してしまうと患者は良くならないが、それを客観的に突き放し、あたかも、壁に止まったハエからの視線のように眺め、記述すると、よくなる。「壁に止まったハエ」は本の中に登場したフレーズ。


  • 本に登場するKIPP校ーー貧困家庭の子どもを、合理的にエンパワメントするように教育している学校ーーは、新興宗教にも見える。そこで語られていることは合理的で、エビデンスもある(大学卒業率は同じような環境の子だと10%に満たないが、その学校は40%を超える。国内の平均の32%よりも遥かに高い)。生徒が語ることも、やはり合理的で、たいそう立派だなとは思うのだが、しかしその言葉・思想はあまりに単調でユーモアがないようにも感じられる(それが「新興宗教」という印象になってる)。でも、ユーモアって贅沢品なんだよな、と。

多分、自分に役立つのは、「依存症からの回復」といった物語の方だと思う。外部に目標なんて、ないからだ。とりあえず目先、今日一日をマシに生きられたことに満足する以上のことを、望めないからだ。

©Something | Randomized 2017